営業から異業種への転職レポート。
今回はコピー関係に勤めていた40代男性のお話。
鬱になり、それから復帰〜現在に至るまでを大いに語っていただきました。
コピー関係の営業からの転職
私は、現在40歳の男性です。
前職は、お客様から会議資料を預かりコピーしたり加工したり、お客様が手書きした文章をワード化したりエクセル化したりイラストレーターやキャドなどの作成したりと、何でも屋みたいな感じの営業職をやっていました。
お客様からの注文の電話は常にあり、売り上げの方も正直営業努力をさほどしなくても良いほどありました。
朝と昼と顔出しに行けば、そこからは怒涛の電話攻撃。
夕方の就業時間間際には、駆け込みの電話が多数掛かってきたり納品に行けば注文を受け残業をする状態に。
売り上げは良い会社だったので残業代は出ていました。
しかし忙しすぎてついに。。
また、金曜日になるとお客さんから日曜日に仕事をお願い出来ないかとの依頼も良く貰っていました。
私達、営業の人間は土日祝日殆ど休みなし状態。
オペレーターの方は、交代で休みを取っていました。
人件費の関係で、全員を出す訳にも行かず労働基準法にも引っかかるからです。
しかし、幾ら残業代や休日出勤代が出るとは言え休みなしで働いていると人間壊れるものです。
私と他数人の営業の人間は、鬱になりました。
私は、会社に出社出来ない状態になり半年休暇を取り復帰しましたが上手くいかず会社を退職せざるをえなくなりました。
この時、私の精神状態は最悪でした。
一度社会復帰を果たすも。。
それから私は、闘病生活を経て3年後に1度社会復帰を果たします。
ある清掃会社に就職しましたが、そこで待ち受けていたのは壮絶なおばさん達の虐め。
そこで、再度私は鬱を発病し闘病生活に突入しました。
かなり辛く長い生活でした。
妻も、私を支えるのに大変だったと思います。
私は、妻の為にも早くこの生活から抜け出したい一心で病と闘っていました。
そこから3年が経ち病気を発病してから6年です。
病状も、落ち着いたので主治医の先生ともお話をして就職をすることにしました。
最初は、軽いパート的な事からとの指示でハローワークで仕事を探し障碍者枠である会社で、事務員として働いています。
毎日、朝起きて出社してパソコンに向かい座り仕事でと大変ですが何とか頑張っています。
人間、死ぬ気になればどんな仕事でも出来るのです。
ただ、今まで営業しかやってこなかった人間です。
座り仕事が退屈で仕方ありません。
あと、持病の腰痛が出てきました。
営業をやっている時は、事務員ってエアコンの効いた部屋でのんびりとしていいなと
思っていましたが、いざ自分が事務員をやると事務員の大変さが身に染みて分かりました。
今は、パートで生活も辛い状態ですが私の状態がもう少し改善されたら正社員で再就職をと考えています。
営業しかしたことない人間なので、また営業をやることになると思います。
この今の経験は決して無駄にはならないと思います。
ゆとり世代的まとめ
ちょっと言葉が出ないくらいの衝撃でした。
僕なんかハナクソに見えるくらいご苦労されています。
もちろんうつ病というのは大変辛い病気です。
一度なってしまうと再発もあったりと本人も家族もすごく大変です。
私が以前いた職場でもやはりうつ病を発症し、何度も出たり休んだ理を繰り返している人がいました。
結局辞めてしまいましたけど。
果たして病気してまで働く必要はあるのか?
そう問いかけたくなる現状が今の日本です。
この経験は決して無駄になりません。
今現にこうして情報発信してくれることによって少しでもそういう人を食い止められるかもしれませんし。
貴重な体験談、ありがとうございました。