営業マン時代
私が営業職に就こうとしたきっかけはごく単純なものでした。
かれこれ25年ほど前のことです。せっかく大学を卒業したのだから「ネクタイ着用の仕事をしないとなあ」と思って就職活動をしました。
当時はバブル末期ではあったものの、就職セミナーへ行けば採用担当者が目をウルウルさせながらブースに座っていたり、面接に行けばその度にもらえる交通費で帰りに一杯呑んで帰ったり、大した自己アピールをしなくても内定をもらえたりなど、とてもちやほやされていました。名目上の就職活動解禁日あたりになると豪華なレストランで食事をいただいたり、旅行にも連れて行ってもらったりしました。
そんなぬくぬくとした状況で就職活動したわけですから、仕事に対する情熱もあまりない上に平成の大不況がやってきたので入社して2年で退職しました。
その後も営業職に就きましたが、どうしても情熱を注げませんでした。
営業職からの脱皮
「長時間電車に揺られて会社にいき、夜遅くまで残務処理をして長時間電車に揺られて帰る」ことの繰り返しがとても悲しいことのように感じるようになったのです。自宅は電車も通っていないような田舎にありましたので、通勤時間が半端なく長かったのです。その分大好きな読書は散々できましたが、出社するまでが一仕事っていう状態でした。そこで業種や職種を全く限定せずに自宅近くでの仕事探しを始め、幸いにも車で10分足らずの電気設備資材を製造する工場に再就職することができました。
営業職から生産工員へ
工場がある会社ばかりで営業職をしていたというものの、生産工員に転職するとなるととても不安がありました。鋼材の切断、曲げ加工、溶接、仕上げなどをするのですが、工場内はとても音が大きく、最初はビビりながら仕事をし始めました。しかしそのときの所属長が丁寧に作業を教えてくださってなんとか現場の一員として仕事ができるようになりました。
もちろん、営業マン時代の経験も活かせていると思います。この作業をするならこうしたほうがコストを抑える工夫をしたり、営業さんがクライアントに不良の謝罪をしなくてもいいようにしなくちゃいけないから丁寧な作業ができるような工夫をしたりなど、全く違う職種でも経験は大切なのだと思わされました。
そしてなによりも、生まれ育った土地の太陽と空気を感じながら仕事ができ、高校を卒業してから疎遠になっていた友人との交友も深められるようになり、この会社に就職できてよかったなと思いました。
職種よりも大切なこと
営業マン時代は勤務時間なんてあってないようなものでしたが、工場の操業時間は限られているのでプライベートの時間が充実するようになり、休日の予定が組みやすくなりました。営業マン時代、冬場は日の出前に家を出て深夜に帰宅していましたが、今は明るくなってから出社して明るいうちに帰宅できます。帰宅してから友人と会うこともでき、精神的なゆとりも生まれました。
確かに、スーツを着て仕事をする人は華やかに映えますし、汗と油とホコリにまみれて工場で働くことは体力的に大変です。しかし企業にとっては営業職も生産工員もなくてはならない存在です。現場仕事という意味では営業マンも生産工員も全く違いがありません。だったら自分らしく生きていく手段の一つとして他職種を選択肢に入れてもいいのではないかと思います。
悲しいことに営業マン時代よりも年収は少なくなりましたが、それと引き換えにたくさんの恩恵を受けられたと私は思っています。