小さい頃から何も夢がなかった僕が唯一『なりたいもの』と思ったのがカーディーラー営業だった。
『好きな車を売ってさらに喜んでもらえるなんてこれほどいい仕事はないじゃないか!』
浅はかだった。
今なら絶対にこんな馬鹿げた事を真剣には思えない。
なぜなら理想と現実は違いすぎたからだ。
もう車を売りたくない!
もう車を売りたくない!
ディーラー営業のくせに完全に矛盾していた。
なぜなら売れれば売れるだけ忙しくなってトラブルも増えるから。
売ったからといって報奨金も微々たるものである。
そんなほっそい人参ぶら下げられてもとてもじゃないけど走れないよね。
だったら売りたくない。
僕は会社からすれば完全な給料泥棒だ。
車を売るのが仕事の営業が車を売りたくない、しかし給料はもらうというのだから。
だから僕は根本的な間違いに気づいた。
僕は営業に向いていないんだと。
自分で言うのもなんだが僕は誰とでも話せるし調子がいいともよく言われ、『営業向きだね』と言われてきた。
確かに営業向きかもしれない。
お客さんと仲良くなるのも信頼されるのも人一倍得意だ。
しかしその性格が故にお客さんのために自分を犠牲にしすぎてしまうところこそが営業に向いていない。
自分の心を犠牲にしてしまうのだ。
そして僕の中での自分の心を守り方は『車を売らない』ことだった。
売りたくないけど売らなきゃいけないジレンマ
『営業のくせに何言ってんだこいつ』って感じですよね。
でもこのジレンマが続く日々。
だから極力いいお客さんだけを選り好みして売るようにした。
でもそんなのすぐに限界がくるよね。
しかも先輩の引き継ぎ客もいるからそんなに選んでばっかりもいられないし。
あーなんで営業なんてなったんだろう。
営業になって見えてきた本当の”営業”の姿
世の中には天性で営業が楽しいって思える人も存在する。
そんな優秀なスタッフは社内にも何人もいた。
その人たちは商談がしたくてしたくてしょうがないんだってさ。
僕からしたら『イカれてる』としか思わなかった。
そんな僕は天性の営業向きじゃない人間なんだろう。
そしてそれに気づけたのは営業になってから。
僕は完璧主義者とまではいかないが結構細かい。
だから相手の言ったことも覚えてるし自分の言ったことも覚えてる。
言った言わないなんてありえないしそれ以上にそうならないように徹底してトラブル回避のために商談をしている。
何かトラブルが起こった時に理不尽にお客さんから責められるのが耐えられないのだ。
そしてそれが続いた結果、車を売るのがゴールの商談ではなく、トラブルが起こらないのがゴールの商談しかできなくなった。
何かトラブルが起こった時、適当に流せる人は本当にすごい。
僕にはそんなメンタルがなかった。
いちいち真剣に考えて真剣にどうしようか考える。
『あの営業は本当に使えない、適当だ』と思われるのが嫌だったからなんだけど、実は真の営業とはそう思われることではないのかとも思うようになった。
以前社内トップ営業のスタッフのお客さんと接する機会があった。
その時お客さんに僕から『あのスタッフは全社でもトップの営業なんですよ』と伝えたら大変驚いていた。
『あいつが?』って。
僕からしたらお客さんのその返答は予想外だった。
『あいつが?』っていうのはあの使えないあいつが?みたいなニュアンスに感じた。
でももしかしたらトップの営業というのははそうなのかもしれない。
なぜならその営業のゴールはお客さんの満足度や自分の評価ではない。
車を売ることだけがゴールだからである。
これが僕とトップ営業の根本的な考え方の違いだった。
じゃあそういう売り方でいいじゃないか。
それができなかった。
僕には僕なりのポリシーがある。それは『お客さんの満足度』と『自分の評価』
一番対極じゃないか。
だめだ。僕はカーディーラー営業でトップになりたい!とか思ってたけど、とてもじゃないがなれそうにもない。
そんなことを考えながら2年目の年末挨拶回りを終えた頃、同窓会兼忘年会をしようと地元から連絡があった。
みんな社会人としてどう働いているのだろう。参加の返事をした。