今回はツアーコンダクターからフリーランスのライターへと転職した方のお話。
大変だったツアーコンダクター時代
私は女性で68才。広島県に住んでいます。以前の仕事は海外旅行の営業でした。
グアムやサイパン、ハワイなどの海外旅行に行く方のビザ取りやツアーコンダクター的な営業活動を行います。
しかし、女性だからという制約で当時は、ツアコンの仕事はさせてらえませんでした。
お客様をツアーへ送り出すまでの旅行申請を円滑に済ませるという言わば、裏方的な仕事以上のことはさせてもらえません。
タイプもできて英会話もできたのに、女性だから体力がないからといってそれ以上の仕事をさせてもらえなかったことへの不満も募っていました。それと、営業職だとお客様が東京まで出てこられない場合は、地方出張することも稀ではありませんでした。突然、茨城県の水戸県庁まで朝早くから出かけるよう命令を受けたこともありました。列車の乗り継ぎがうまく合わなくて、若干でも遅れると県庁の人に怒鳴られたりしてひどく落ち込みました。私の実家の近くにクライアントがいる会社があるから、来社前にパスポートを届けて欲しいとか依頼されることもあり、イレギュラーな仕事がよく入りました。
朝の9:00amから夕刻5:00pmまでのフルタイムの仕事と、職場が赤坂ということで郊外の実家から通うのもラッシュ時では大変でした。地下鉄赤坂の駅は狭く混んで身動きができず、このまま押し倒されて事故に巻き込まれるのではないかといつも恐怖すら感じていました。ちょうど体調も余りよくなくなってくるし、女性という立場では仕事に限界を感じざるを得ませんでした。ちょうど結婚をしたことをキッカケにもう少し、ゆとりのある仕事に転職したいと思うようになりました。
結婚を機にフリーランスへ
結婚をキッカケにフリーランスになり、好きだった文章を書く仕事をすることにしました。某石油関係のPR誌にフリーで書く仕事と某保険会社の組合の機関紙をフリーで引き受けることにしました。取材から記事割付も校正まで1人で受け持ちました。現在の仕事もSOHOのライターです。他にも、ウエブコラム記事を書いたりしています。
こうした仕事は、すべてフリーランスで行いました。時間も働き方も自分の自由になるかわりに、収入が不安定になることがネックでした。定時の仕事は月にいくらという予定が立ちますが、フリーで全く自分の才覚で仕事を切り開らかなければならないので、それなりの開拓精神もなくてはなりません。収入予定が不安定なので、収入がある時は貯めておき、ない時は溜めておいたお金でまかなうという生活になりました。その辺が、フリーランスの仕事は精神的につらいところです。けれど、誰にも縛られもせず、自分の好きな仕事をして自分が書いたものが何らかの形で人々の目に触れることは嬉しいものです。自分で企画し書いた記事が自分に返ってくるというのは、怖いことでもありますが、喜んで下さるクライアント様がいれば、苦労も飛んでいってしまいます。現在はSOHOとしての仕事がメインとなりますが、いろいろな分野の仕事を調べてまとめることは好奇心も充たされます。いろいろな意味で、興味の幅を広げていられることは教えられることも多く、とにかく、やみくもに動く体力が必要な営業職から転職してよかったなと今は思っています。