僕は平成元年生まれのいわゆる『ゆとり』と呼ばれる世代です。
ゆとり教育といって突然中学校から(僕たちは)週休2日制になったことでゆとりと呼ばれるようになりました。
だから小学校まではちゃんと隔週で土曜日も学校行ってたしそれまではゆとりなんて呼ばれていなかったんです。
なので大人の都合で勝手にゆとりにさせられました。
僕自身は別に『これだからゆとりは』とかいう言葉にイラっとしたことはありません。
ただナンセンスだなーと思うのは世代ってだけでひとくくりにしてしまうことかなーって。
そもそもゆとり教育とか始めたのはあなたたち大人でしょ?
なんでそれを『ゆとり世代』とひとくくりにして『ゆとりは扱いづらい』みたいなネガティブなことばかり言うのがよく分からない。
でも確かに世代でなんとなーく考え方が違うのも事実。
そんなゆとり世代の僕がゆとりをひとくくりにしてゆとり世代の取り扱い方を解説します。
とにかくホメろ!
『いきなりゆとりキター』って感じでしょ?
これは自分でも思うけどゆとり世代は褒められて成長するんです。
確かに失敗したりするとその失敗を糧にまた新たに成長するものですが、その失敗を怒られたくはないんです。
いや、ていうか失敗ってことに誰よりも反省し落ち込んでいるのです。
そこに叱るという行為は追打ち。
いや、もちろん失敗は叱らないといけませんよ?
ただ叱ってばっかりではゆとりならではのいい意味で『調子に乗る』ことがなくなってしまう。
ゆとり世代は叱られて『ありがたい』とかあんまり思いません。
普通に『は、うざっ。じゃあお前できんのかよ』とか思ってます。
愛のムチとか、叱るのはお前の為とか理解できません。
ゆとりにとって一番の承認行為は『褒めてやる』ことです。
ゆとりは調子に乗せてなんぼなんです。
怒るのはお前の感情任せな楽な行為だろ?
『怒るのは疲れる』とかよく言うけどあれ、馬鹿じゃねえって思う。
疲れるならやるなよと。
いや、本当は違う。
楽だから怒るんです。
丁寧に相手に気を遣って教えたりする方がよっぽど大変だからね。
だから『丁寧に気を遣って教えるのは疲れる』なら理解出来るが『怒るのは疲れる』は怒る側の言い訳でしかありません。
そして怒って疲れるのは勝手だけどそこで体力を消耗してさらに相手も萎縮させたらそれはとてつもなくマイナスな行為だと思う。
ましてやそれを日常的にやっているならその会社はマジでやばい。
無駄遣いでしかないですよ。
『ゆとりは扱い方がわからない』という苦手意識を捨てろ。
『ゆとり世代は理解できない』
と、さも宇宙人のような未知の生命体を扱うように接するのはよくありません。
その距離感はゆとり世代はとても感じ取る能力が高いです。
その一歩引いた感じは余計に『ゆとり世代』としてくくり感を大きくしています。
友達みたいだけど超仕事できる先輩が好き
ゆとり世代はもっと友達のように近く、それでいて尊敬される先輩をとても好みます。
それは年が親子ほど離れていても同じ。
時には友達のように、時には親子のようでありながら超仕事ができる人をめちゃくちゃ尊敬します。
そして仕事ができないくせにガタガタ説教してくる奴を一番嫌います。
尊敬される努力をしよう
要は『ゆとりが扱いづらい』っていうのは仕事ができないあんたが尊敬されていないからだよってことです。
ゆとりは尊敬していない相手の言うことは何でも『うぜー』と思っています。
逆にゆとりは尊敬している相手からは叱られてもありがたいと思うものなんです。
ゆとりゆとりって世代でくくって若者のせいにしてるけど実は尊敬される努力を怠ったあなたたちが舐められているだけでしょっていう。
『偉くなればずっとソリティアやってても給料もらえる』と思っているのはあなたたちだけですよ?
ゆとりは『こんな奴に説教されたくねえ』『こうはなりたくねえ』と思っています。
ゆとりに言うこと聞かせたいならまずは尊敬されましょう。